東郷城(槙山城)
東郷城は元中5年(1388)に、越前”黒丸城”の四代目城主の「朝倉下野守貞景」の弟である「東郷下総守正景」が公家の一条家から”東郷庄”を預けられ居城したのが起源とされている。当初は砦であったといわれる。文明2年(1470)に黒丸城の7代城主「朝倉敏景」が将軍「足利義政」から越前国を拝領して”一乗谷”に移り、一乗谷を築城してからは、出城的存在となった。
「長谷川秀一」公が、天正12年(1584)に東郷に領地を受け、同13年(1585)に東郷城を築城して、豊臣秀吉から”東郷侍従”として禄高15万石を授かり太守となるに至って城下町を形成した町並みの繁栄が見られるようになった。
長谷川秀一公の死後、2年間の空白期間を経て丹羽長昌城主となったが、関が原の合戦で西軍に加勢したため、慶長5年(1600)に、徳川家康により領地を没収されると共に東郷城は廃城となった。
城主の遍歴
東郷下総守正景(以降朝倉氏家臣)=>下総守玉山=>兵庫助周高=>彦四郎正長=>鳥井影近=>虎牧路知=>11年空白=>長谷川藤五郎秀一(以降豊臣氏家臣)=>2年空白=>丹羽長昌=>廃城