東郷城と槇山

 東郷城の城跡は槇山にある。江戸の文書では城名を「東郷城」と記述されておる一方で明治期以降から今では「槇山城」と呼ばれ親しまれている。 元中5年(1388)に越前黒丸城の四代城主朝倉下野守貞景の弟、東郷下総守正景が一条家の荘園東郷荘を預けられ居城したと伝えられている。 朝倉家一族滅亡後、天正13年(1585)長谷川秀一が15万石の城主となり、北ノ庄まで支配していた。秀一の死後、丹羽長昌が城主となったが、関ヶ原戦で西軍に属し破れ、慶長6年(1601)廃城となった。東郷城は、本丸・二の丸に土塁・堀切などに分かれ、千畳敷は遊園地、展望所と現在になっている。 城への登り口は、石垣が二重三重に積まれ堅固だったらしい。